(ごめんなさい、写真ぶれています)
「譚高譚」
釣りの話で盛り上がって
います・・・
ママさんこと高橋みき子さん
「上士幌中学校同期生一同」
とかかれた暖簾
山女の天ぷら
帯広での「アンデルセン生誕200年展」の初日、お忙しい中を縫って穂積さんは平間さんの
ご案内で上士幌町役場に立ち寄り、町長・教育長等へのご挨拶に回られたようです。

そのあと、皆様が待つクラスメートのお店「山女魚(ヤマメ)」に・・・・。

私は丁度その日も、帯広に居ましたがお目にかかることが出来ませんでしたので、同期会の
写真を写しましたら送ってくださいとお願いしましたところ、皆様へのお礼の手紙も添えて送っ
てくださいました。

10月17日穂積さんから「山女魚」のママさんのお名前と、このお店の名前をメールで教えて頂
き早速電話帳で調べ、電話をして伺うことにしました。
ママさんこと、高橋みき子さんは初対面の私を快く迎えてくださいました。
小学校は清水谷だったとのこと。

夕飯を食べずに早々と行きましたのにもうお客さんが沢山居ました。コーヒーを飲んでいる方も
居ました。
三方六の耳だと言う、美味しい、バームクーヘン、山葡萄のジュースに焼酎を入れていただき
山女の天ぷら、採ってきたばかりのぼりぼり、赤松きのこ、行者にんにくの天ぷら、ししゃもの
刺身、そしてお店のお客さんが釣ってきた「たんたか」の刺身、そのお祝いだという差し入れの
「鍛高譚」という紫蘇風味の焼酎をご馳走になりました。(私はこの「たんたかたん」と言うのは
「たんたか」をもじってファンファーレの「たんたかた〜ん」のことを言っているのだとばかり思っ
ていました。でも本当に「譚高譚(たんたかたん)」と言う飲み物があったのです。そして「たん
たか」食べたくてついつい長居してし、その「譚高譚」も頂いてしまいました)
山女などは自分で釣り飯鮨を作るとかそのときは111匹釣ってきたそうです。そして、目の前で
捌き、きのこも採ってきたばかりのものをご馳走になり、私は何もかもが珍しくて、全部食べて
しまいました。

笑顔のとても素敵な高橋さんは「穂積さんはね、生きた百科事典と言われるほど物知りで頭が
良かったの、それにお坊ちゃんでとても可愛かった!!」と・・・・。

壁にはしっかりと「アンデルセン生誕200年展」のポスターが張られていました。

ここでも上士幌の方との新しい出会いがありました。
穂積さん、高橋さん、そして皆様、ありがとうございました。            斉藤 聖子
  上士幌中学校同期生の皆様へ


 皆様お変わりありませんか?

去る9月16日は、突然の訪問にもかかわらず、平間さんに懐かしい上士幌の町やナイタイ
高原牧場などをご案内いただいたあと、たくさんの皆様に帯広でクラス会を開いていただき
感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。

上士幌中学校を卒表したわけではなく、中1と中2のわずか2年弱をご一緒させていただい
た、いわば少年時代のほんのひと時をともに過ごしただけの者を、このように温かく迎えて
くださった皆様は、僕にとってかけがえなのない友人たちだとつくづく実感しております。

思い返せば、2003年の4月には「くも膜下出血」で開頭手術を受け、生死の境をさまよった
挙句、奇跡的に生還しました。リハビリの甲斐あってか、ほぼ後遺症もなく社会復帰を果
たすことが出来たあと、さまざまな形で、自分にとっての新しい人生展開があったように思
いますが、皆様との再会も、きっとそのひとつでしょう。

上士幌だけではなく、数十年ぶりに訪れた十勝の大地は本当に素晴らしいものでした。
会社を移転しようか、と半ば本気で考える始末です。しかし、例え住むことは叶わなくても
この素晴らしい大地には機会を見つけてこれからも時々お訪ねし、皆様と旧交を温めるこ
とが出来れば、どんなに幸せな人生か、と思います。

なお、当日の記念写真も同封いたしますので、ご笑納いただければ幸いです。
またお会いする日まで、どうかお元気で。

まずはお礼まで。

                               平成17年10月7日

                                          穂積 保
帯広市西1条南18丁目
「山女魚」にて
      2005.9.16
2005.10.20
ミニ同期会(S21・22年生まれ)