2005年は白い雪で迎えました。
2004年は最後の最後まで悲しいニュースが伝えられました。
今年こそは、今年こそはいい年に!と願う年初めの今日です。

 昨年を振り返りますと、私も色々ありました。
5月に母が93歳で逝きました。
帯広に住んでいましたので、最後はホテルに泊まって看病に病院へ通いました。
でも、最後の最後は病院に泊りこみです。
私たちが親を看ると言うことはかなりのエネルギーが必要に思いました。
連絡があっても飛行機ではすぐにいけません、どこかで覚悟をしていましたが幸い連休、
そして家族の理解で2週間ほど戻らずに看病ができました。

JALでは介護パスがあり、飛行機代が割引の上、いつでも使えます。
経費も大変ですからいろんな方法で安いチケットを見つけました。
(ふるさと会会員で、安いチケットが手に入ります。詳しくは後日お知らせします)
でも突然のときはこの介護パスが一番のように思いました。
そんなことで思わぬ帯広の春を過ごしました。

9月に上士幌の江波戸礼子さんをお誘いして、版画の展覧会をしました。
この案内は、11月の「上士幌の集い」を案内を載せてみんなに送らせていただきました。
展覧会では新しい上士幌の方との出会いがあり、とてもうれしく思いました。
後で知ったのですが残念なことに私が誰かわからないため行かなかったと。
今回はふるさとをテーマにと、決めていました。
もっとゆっくりふるさとを歩きたいと思いながらも、なかなか思うように行きあせんでしたが
母の49日のときに、上士幌にも行きました。
中学校では校長先生、教頭先生にお目にかかり、校長先生にはお忙しい中、校内を案内
してくださいました。
そして父の作詞の校歌とも体育館で対面できました。
そのとき教頭先生から鈴木さんに連絡をと言うことから始まり、鈴木さんは念願の上士幌
でのコンサートの夢がかないました。

加藤人さんとは展覧会にきていただきお会いすることができました。
行こうとも思っていたのに怪我をしていけなくなったとお詫びの電話を下さった横内さん。
礼子さんの友人という馬淵さんからはぜひ行きますと電話が・・・。
上士幌神社の小林さんのお嬢様も、心配しながらはがきを持って・・・。
南さんはご姉妹で・・・。
そんな風にしてほんの少しずつ輪がつながり、広がっていくような気がします。

でも、こうしてHPを作っていてもなかなか思うようにできません。
ああもしたい、こうもしたいと思いながらも、時間が足りない、体の具合が悪いなど思うよう
に行かないことがあります。
そんなときは自信がなくなります。
楽しみながら作ろうと思っていますが、そういう時は私は何をしているのだろうと思うのです。
掲示板にも書いてくださらないのはつまらないからか?など、いろんなことで自信がなくなる
のです。

「集い」にも少しずつ参加者が増えています。
でも、まだつまらない、お年寄りの集まる場と思っている方も多くいます。
また一人で行ってもお話しが・・・と、心配する方も。
それでは、多くの方が上士幌を通して語り合える場にするにはどうしたらいいのでしょう。
参加するようになってこのごろ私が思うことは楽しませてもらうのではなく自分から楽しむこ
とも・・・、知らない方でもよ〜く話していると、必ず接点があるのです。
思い出の場所が、あのおばさんが・・・、あのお店が、あの山がそしてあの先生が・・・と。
まったく知らなかった方でも上士幌から話題が広がります。
それがふるさと会なのかもしれないとこのごろ思います。

だれにでも小さな力があると思います。その力が集まれば大きくなる。それはどんなことに
でもつながることなのではと思うのです。
若い方はこの会をクラス会の変わりに、もしかしたら出会いにもなるのでは?
そんなことを考えながら、ない知恵を絞り、あれこれ考えをめぐらします。

去年は元気人名録もあまりできませんでした。
でも、こうして新年を迎え、やっぱり欲張らずにゆっくりいこう、楽しみながら作ったら、きっと
皆さんも楽しんでくださるはずと・・・
そして、私だけでなく皆さんの力でこのHPを支えてほしいと願うのです。
どんなに些細なことでもお知らせください。
また「私のこと載せてください」「私のこの会を」「クラス会のことを」などお寄せください。
ふつつかながら今年も続けて作っていきますのでどうかみなさまこれからもよろしくお願いい
たします。

皆様にとって、今年はより良い年になりますよう。
そしてご健康ですごせますよう心よりお祈りします。               斉藤聖子
新年を迎えて・・・
山形初桜
2005.1.1