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長尾さんの思い出の場所はお応え戴いていませんが、
今は上金さんのお寺があるところは昔、長尾さんの土地だったそうです。
ということで上金さんのお寺の隣の畑、お寺の高台の上からの風景を!
『私のふるさと絵はがき』
今、77歳を迎えながら人の健康に寄与携われることを生きがいにそして痛みを癒す悦びと
共にその方々の感謝に包まれる幸せの日々を私も感謝して毎日を過ごしております。
長男、和司朗はスキューバーダイビング・インストラクターの最高のライセンスを持ち、
銀座にて後進の指導、野生イルカと泳ぐ会を作ったり、一般の人の海への散策指導の
お手伝いをしております。興味のある方は・・・ここ
長男、和司朗さんと
1926(T15)年2月釧路国音別町に生を受く。
          6月、生後4ヶ月で母に抱かれ、
         士幌村から馬車に揺られ上士幌へ。
  55年 29歳で結婚 1男1女
  55年 上京
  64年 指圧師免許を取得、東京上野にて指圧研究所を開設。
  74年 佐々木正一氏の上士幌町東京会設立の趣旨に賛同し、
       副会長として今も・・・。
  84年 指圧研究所を閉じ、主としてギックリ腰、膝痛治療専念
       のため訪問治療に転職。 
上士幌町東京会副会長
長尾 寅司郎
故郷への想い
幼児より育み育てられた上士幌。
東京在住の方が長くなりましたが私の血は全身上士幌人です。
何かにつけ脳裏から上士幌が離れることなく、テレビ等で各地の故郷自慢、旅だよりを等を
見聞するにつけ上士幌でもそれが出来る上士幌なら此れもいやそれ以上のものが出来ると
常に思ったりしています。
なぜなら上士幌は東大雪(表大雪)という広い山麓に豊かな資源に(山菜、茸も含む)湧水
(源水)に恵まれています。
私の母や姉たちは、山菜料理が上手で色々なものを美味しく作って食べさせてくれたものです。
そばもうどんも小麦等、上士幌産で製粉して。
東京在住40年以上、方々を旅しましたがその素朴な美味しさは匹敵するものは数えるほど
しか経験しませんでした。そしてその物は、遠くから人を呼んでいます。
萩が丘の野口さんの美味しいそばを戴いたのを今も忘れません。
その美味しい物作りを受け継いでいる人を探せば2人や3人、町内に必ずいらっしゃると
信じます。
その方を先生にして婦人会等で町も一丸となって、上士幌ならではの自慢料理、物産を生み
出せば帯広は勿論札幌方面からも(本州ではそんな例が沢山あります)。
先ずは、水を表大雪の湧水を基にして何から何まで表大雪の物で成功すれば、ゴルフ、スキー
もそれをセットに。
来るべき町村合併後、音更の十勝大橋の快で朝市なども(無農薬野菜、多種の山菜、茸、
温泉を利用した大規模温室で道内に無い物産)と夢が無限にもてる上士幌です。