みのる
さとう   
   
『昭和六年八月参拾日北海道河東郡上士幌村
字居辺東十線二百八十三番地で出生』
これが私の戸籍に掲載されている冒頭文であり
ます。
この年は、いみじくも上士幌村が生まれた年で、
私と上士幌町とは同年生であり、何時まで経っ
ても、私と上士幌は同じ年です。
私の父母が、この地に移住したのは昭和4年で、
福島県いわき市出身者の団体だったそうです。
そのために今でもこの地周辺は“いわき”と呼ば
れていると思います。
昭和12年に萩ヶ岡小学校へ入学し、同級生たちとの毎日の楽しい勉学、運動会、
通学途上での数々の楽しい思い出を積み重ねながら、昭和15年に3年生になり
ました。
ところが、この年の12月に父母の方針転換により、大阪へ移住してしまいました。
この時から“わがふるさと上士幌”への思い出、懐かしさが強くなり、年が過ぎる
毎に、一層つのるばかりでした。
この大阪の地で社会人になり、東京に本社のある会社に就職いたしました。
ところが昭和39年になり、今度は社命で東京へ転勤することになり、私と家族は
東京へ移住しました。
ここで知ったのが“上士幌町東京会”です。
この時から、私のふるさとの情報を少しでも得ようと思い、何らかの催しがあるご
とに参加しております。
この中で特に楽しみにしているのが、毎年行われる町当局も参加する
“上士幌の集い”です。
この集いで、それぞれの人たちの話に触れる事により、“ふるさとを想う心”を
慰めております。
・・・・・・・・「上士幌町東京会」の副会長です。現在もお元気にお仕事をしています。
趣味は海外旅行とか、仕事と趣味を兼ね合わせてアメリカ・ドイツなどへお出かけだそう
です。
奥様を秘書に今ではご一緒にお出かけになることが多いそうです。……斉藤
校舎東側「農園、萩の道」
萩ヶ岡小学校全景
photo 藤田昌江先生
お聞きしていなかったのですが、萩ヶ岡小学校の3年生でに引っ越され
小学校での思い出が特に懐かしく想われるのではと・・・・・。
萩ヶ岡小学校でHP担当している藤田先生にお願いしましたら快い
返事をすぐに下さり、写真を送っていただきました。
安田正司校長先生、藤田先生をはじめ、ご協力してくださった学校の
皆様に感謝し、心よりお礼を申し上げます。
『私のふるさと絵葉書』