2008.6現在
   「ランステ」の前で

丹野 一彦

 2006年、60歳になり「矯正の道に奉職」を定年退職され、北海道を
マラソンで1周すると言っていましたが、その年は途中で引き上げられ
たそうです。
そして次の年にと言っているうちに新しい仕事とので出会いがあり、
現在はその仕事を楽しんでいます。

中学校時代の野球の投手で名をあげた丹野さんは、スポーツ
マン。
楽しみとしていたジョギングで知り合った仲間たちと、作った会社は
「ランナーステーション」(通称ランステ)、皇居を1周はランナーに
とってはステータス、憧れです。
その皇居の周りを気楽に走りやすくと、作ったのが「ランステ」です。
テレビでも話題になりました。

荷物を預け、走って、いい汗流して、そして帰りにシャワーを浴びて・・・。
5時過ぎには行列ができるそうです。

丹野さんも一緒に走ってくださることもあるそうです。
毎日いるわけではないのですが、走りたいなと思ったらぜひお顔出
してください。
初めての方にも親切丁寧に相談に乗ってくださると思います。

まだまだ現役の丹野さん、とっても素敵な笑顔で迎えてくださいますよ!

退職後の丹野さんの今をご紹介します!

2008-7-1

*略 歴

・・・・・・・・「上士幌町東京会」の副会長です。野球少年、卓球青年、そしてマラソン熟年と、
常にスポーツとは切り離せない人生。そのスポーツから色々なものを得ているようですね。
きっとこれからのこの会を盛り上げてくださる方、そんな感じがします。・・・・斉藤聖子
昭和21年:上士幌町2区が出生の地、埼玉県草加市在住

昭和35年度第14回上士幌中学校卒業、同年全道少年野球
十勝大会初優勝
 球友に恵まれた中での投手、練習に明け暮れた元気な野球
 少年だった。
 
(当時では異色の女性リーダー3名、十勝花子らが応援団と
 して活躍し、現在の華やかなチヤリーダーの草分け的な存
 在で大いに脚光を浴びた)

昭和46年:一念発起し、上京。矯正の道に奉職。

昭和56年:全国法務省職員卓球大会、東京都代表2年連続出場

平成 5年:日中友好国際駅伝、東京都葛飾区選抜チーム監督兼選手として北京に派遣

平成 6年:国際駅伝出場を期にクラブチーム「こすげ走友会」結成

平成14年:永年勤続により法務大臣表彰状授与

現在はジョギングを趣味とし充実した日々を送る。
走友に恵まれた環境の中でようやく念願の東京女子マラソン出場資格を得た選手をコーチ指導
する傍ら、故郷の大地を敬う一人として「上士幌町東京会」の発展を心から願うものであります。
03.3.26
中学校で活躍された野球、優勝後の大切な記念写真です。
懐かしい先生のお姿、野球少年の颯爽とした姿、良い写真ですね。
冬のグラウンドですが現在の中学校のグラウンドを一緒に見てください。
『私のふるさと絵葉書』
佐藤監督
角田教頭
谷口校長
昭和35年上士幌中学校グラウンドにて